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重いと感じる人間関係はうつの敵。そんな重荷は降ろすが勝ち

人間関係が重いと感じる。どうしたらいい?

重いと感じる人間関係はうつの敵です。うつ病まではいかなくても、うつ的な症状になら誰にでもなってしまうものです。うつ病の改善・予防のためにも、重いと感じる重荷は降ろすが勝ちです。

先生

ストレスは負荷。負荷は重荷。重荷を背負い過ぎてパンクした状態がうつ病だから、ストレスのもとになるものは、全て排除していくのが基本的な考え方さ!
更に詳しく知りたい人は、以下の記事を見るっす!

ハニワくん

今まで積み重ねてきたものが、人間関係を億劫にさせる

重いと感じる人間関係はうつの敵。そんな重荷は降ろすが勝ち。

 

 

この記事は、

 

うつ病の克服に最も重要なキーワード『重荷を取って軽くする』

 

と併せて考えていきたい。

 

自分にとって重荷と感じるものは、全て降ろしていくことを考えていきたい。その中で、もちろん挙げられるのが、『人間関係』だ。人間関係は本当に重い。重いし煩わしいし、悩みの種である。

 

もちろん、『その悩みが幸せなの』という、子供に対する愛情をあらわす言葉がこの世にあることはわかっている。だからすべての人間関係とは言わないが、しかし、往々にしてまず人間関係とは、重いし煩わしいし、悩みの種である。

 

 

先生

まず第一に考えるべきなのは、人間関係は重荷だということだね!その親子間の愛情など、特殊な例をのぞけば、往々にして人間関係っていうのは重荷になってくるね!というのは、考え方が人それぞれ違うっていうことと、『それがまかり通ってきた』ので、そこに依存しちゃうんだね!
どういうことっすか?

ハニワくん

先生

つまり、『今まで積み重ねてきたものがある』のに、違う考え方の人と話をすると、それを崩さなければならないか、折れなければならない。あるいは、またやり直さなければならないってことで、そこにストレスを覚える。そうすると、人間関係がおっくうになってしまうわけだね!
うーむ、なるほど!

ハニワくん

この章のまとめ
  • 人間関係は重荷。

クリスチャンの家庭に生まれて

例えば私なら、両親、妹、祖母がクリスチャンであり、私だけそうではない。これが本当に大変だった。私の心はイエス・キリストなど求めていないし、これからも求めることはない。しかし、私は、

 

この家はクリスチャンの家だから、従えないなら出ていってもらうしかない

 

と言われた。そして、こんなことは氷山の一角だ。私はかつて、この両親が死んでこの世から消えれば、どんなに楽になれるだろうと考えた。

 

そして、現在。それから20年経った今。私はいまだに、クリスチャンではなく、彼女らはクリスチャンである。もう、これは一生続くのだ。どちらが正しいかということは、一生わからない。イエスが神の蘇りであり、最後の晩餐があるということが事実かどうかなど、その時になるまでわかるわけもなく、我々の人生の時間の中では、決着がつく問題ではないのだ。

 

 

私は別に、キリストを敵視しているわけではない。私はこういう環境で生まれた運命として、この世を生きる500人の偉人の、8,000の言葉を内省した。当然その偉人の中には、儒教の始祖『孔子』、キリスト教の礎『イエス・キリスト』、仏教の開祖『釈迦』、古代ギリシャの哲学者『ソクラテス』がいる。

 

道教の創案者『老子』、イスラム教の開祖『ムハンマド』、また、キング牧師や、 ダライ・ラマ14世に大きな影響を与えたヒンズー教の指導者『ガンジーはもちろんアインシュタインエジソンニーチェ松下幸之助等がいる。

 

そんな私が、クリスチャンにはならないと言っているのだ。そして彼女らは、一生クリスチャンであり、私も、彼女らがそれで平安に生きていけるのであれば、なにも文句は言えないのである。

 

先生

僕(著者)の場合はクリスチャンではないといっても、これだけの人と向き合って、彼らの考え方に一応の目は通したんだ!彼らの意見は驚くほど傾聴に値する意見ばかりだったよ!でも、それでも僕はどんな宗教にも属さないという結論になったけどね!
世界の50億人以上の人が何らかの宗教を持っているっす!世界にはいろいろな人がいるっすね!

ハニワくん

この章のまとめ
  • 世界の50億人以上の人が何らかの宗教を持っている。

負の連鎖を断ち切る

さて、このようにして、人間関係というものは、重いし煩わしいし、悩みの種である。私などは一度死を願ってしまったほどだ。中には本当に殺すか、あるいは自ら命を絶つ人もいるだろう。それだけ人間関係というものは、重いし煩わしいし、悩みの種である。まずはその決定的な事実を、理解するべきである。

 

 

ドイツの詩人、ゲーテは言った。

 

私がクリスチャンではないことで、私が受けた精神的ダメージを理解できるだろうか。きっとこのサイトを見ている人なら理解できるだろう。私以外にも同じように、自分とは考え方が合わない人間関係に悩み、苦しみ、心を病む人がいるのだ。

 

私は、どうすることにしたと思うだろうか。そんな家族との人間関係を、どのようにすることが最善だと考えたと思うだろうか。

 

私は、『私の代で、この連鎖を断ち切る』という結論を出したのだ。そうすることによって、私の母、祖母ら『だけ』が、私の血筋でクリスチャンであったことになり、彼女らは、一時のさまよう子羊だったことになる。

 

そんな彼女らも、私の父の様に、いずれは必ずこの世を去るのだ。それを考えた時、むしろ彼女らに同情心が湧く。彼女らも、必死に生きているのだ。彼女らも、迷い、苦しみ、だからこそそこに辿り着いたのだ。

 

自分の心に問いかけてみよう。今、自分の身にある人間関係は、本当に自分にとって、必要な人間関係なのだろうか。あるいはその人間の意見は、本当に聞くべき模範的な意見なのだろうか。それとも、逆に彼らの意見こそは、正されることが必要なのだろうか。

 

先生

実は、2017年4月の話なんだけど、この記事を書いてからしばらく経ってから、また母と話すことがあったんだ!今まで何度も話してきたんだけどね(一方的に)、この4月の話では、ついに積もり積もったものが効いてきたのか、母の心に心境の変化を見られるようになったんだ!
クリスチャンをやめたっすか?

ハニワくん

先生

いや、それはなかなか難しい話なんだ!なんせ、夫がクリスチャンのまま死んだしね!30年以上もの間続けたものを急にやめることはできないよ!中の良い友人もたくさんいるしね!
じゃあどうなったっすか?

ハニワくん

先生

自分に非がある、責任がある、感謝が足りない、っていう境地を少しだけ理解するようになったんだ!だから、仏教的な修行である、『内観』についても興味深そうにしていた!30年見てきている僕だからわかる変化だけど、一つ言えるのは、結局『彼女らも、必死に生きている』ってことだね!
この章のまとめ
  • 人々は理解できぬことを低く見積もる。
  • 今、自分の身にある人間関係は、本当に自分にとって、必要な人間関係なのか。自分の心に問いかけてみる。